2009.06.30 七夕飾り
息子に運動会の徒競走2番になったら大きな“七夕飾り”を作ろうと約束、2番にはなれなかったのですが早速準備。
笹竹1_512

私は、長い竹を準備しようかと思ったのですが、「さーさの葉、サーラサラ」という歌があるとおり、七夕飾りは笹の葉であって竹ではないのではないかと疑問に感じます。いや、仙台の七夕は竹だったとか考えてしまいます。

どちらでもいいことなのでしょうが、少し調べると、
“ササ”と“タケ”は植物学的に別ものです。
ただ、1年には5つの節句があり、それぞれ節句にはかかわる植物があり、1月7日七草、3月3日桃、5月5日菖蒲、9月9日菊、そして7月7日“竹”の節句だそうです。

しかし、竹だと小さな我が家では不釣合いだし、風にゆられサラサラ音がすることからやっぱり“笹”が良いところでしょう。
飾りつけと願い事は徐々に付いていく予定です。
太宰が弘前高校時代に下宿していた“旧藤田家住宅”、現在は“まなびの家”として弘前市御幸町に移築復元され、朗読などの催しも行われているようです。
私は初めての訪ねます。通りから少し入りますが、弘前厚生学院を目標にすると訪ねやすいです。
まなびの家33_512
藤田家の建物自体も大正時代の建造物で弘前市の文化財に指定されており、太宰が下宿していた家というだけではなく、造り、土間など建築物そのものも楽しめます。

太宰は、弘前高等学校在学の昭和2年?5年までの満3年間下宿、太宰が使用していた2階奧の6畳の部屋は使っていた机も残されています。
まなびの家35_512
当時写した写真と同じように配列されているので、当時の面影を感じてしまいます。
まなびの家36_512

太宰の写真も複数展示、下宿当時の小山初代のとエピソードも書かれてあり楽しめます。
まなびの家34_512
警備会社員と思われる方ひとりが座っているのは少し残念なのですが、入場料が無料だというのが親切になっています。  
2009.06.28 保育所運動会
民営化が決まっている“金木保育所”
行政が営んできた長い歴史の中で、最後の運動会となります。
運動会57_512
私の役目はスターターです。ライカン・ピストルを発するのは高校の陸上部時代以来となり、ひとりで懐かしんでいます。
運動会51_512
息子は徒競走2位が目標。練習は3位から始まってますから、地道な目標を持たせました。
スターターは私、無意識ですが息子の呼吸に合った様な“ドン”が鳴りましたが、事前のアドバイスで混乱したのか、2位争いの相手を気にし過ぎ。結果3位、ああ残念。
まあ、確実に目標を高くしていけば何れ1位があるかも。なんて親ばかなことを思いながらも楽しんでいます。民営化になった来年も運動会はあるでしょうから、一歩一歩確実に。

さて、先生方は市の職員ですから、来年はこの職場を離れ市役所の各部署に移ります。あと数年で退職の先生もおり、永年運動会の思い出を子供たちに与えてきた様々な思いでもあるでしょう。ありがとうございました。
運動会56_512

さて、保育所の歴史を少し調べると、
私が児童の頃には金木町管内に公設の4つの保育所、2つの児童館とその他に私立の幼稚園が1つ有ったのですが、現在は公設の保育所1つにまとめられ、金木幼稚園とのふたつとなっております。最も早くに開設されたのは旧金木第一保育所で昭和28年のことだそうです。
市町村合併が大きな影響かも知れませんが、自治体の保育行政のあり方の見直しからか、今年度限りで金木保育所が民間に経営移譲することとなり、56年間管内の児童育成に尽くした公設保育所が閉鎖されます。
我が家のそばの屯所、消防コミセンは“蒔田児童館”跡地であり、昭和46年に開設され、おそらくそれと同時に私も入所したでしょう。隣接の小学校が55年に閉校した後もしばらくは運営していたような記憶も残っていますが、何時閉鎖されたのかは知り得ていないです。



1回目の運営委員会です。
役員会45_512
既に行政の協力で6月5日に実行委員会は経ち上がっていますが、これから細部にわたっての検討が始まりました。実際の運営は歩こう会が行うこととなります。総務部会、歩行部会に分担されて今後各部会において準備に入ります。
出始めが遅れ、後3ヶ月の期間で大会を成功させるには、みんなが一致した認識、思いを持って進めないと間に合いようないでしょうから。
全国へ向け発信するこのイベント、さて、今後継続していくためには、今回しっかりした運営が出来るかにかかっています。
しかし、この会の顔ぶれはただの健康志向の集まりじゃありませんよ。様々な経歴の方が居るんだと、あらためて頼もしさを感じます。

ん、予算額が脹らんでいます。予想出来ずに期待していた収入があったのです。当初の希望がこの時期に示されました。周辺からの理解も着実に得られているようです。
2009.06.26 公立金木病院
おばあちゃん、つまり私の母が金木病院に入院。

子供たちが学校から一旦は祖父母の家に帰るので、私も平日は毎日寄っているのですが、全く気づかなかったのです。おばあちゃんは普段から忙しくて家に居ないのが多いこともありますが、おじいちゃんの心配させまいとの気配りだったようです。妹からの電話で知ることになりました。
まあ、病院へ寄って見ると元気なので安心。
金木病院40_512
金木病院ですが、一昨年医師不足により救急指定一時取り下げられ“地域医療崩壊の現場”として全国の注目を集めた病院です。
住民運動などで医師を確保、救急車受け入れ休止を再開、しかし今年4月にも常勤医師の退職で診療報酬減額対象となったり、看護師や技師もぎりぎりの数だったり、 五所川原には私立の西北中央病院があり、新たな中核病院の計画も順調に進んでいるようで、また、鶴田町と合併すればそこにも公立の病院がある訳です。市が赤字病院を背負っていくにも財政的な限界があるでしょう。

公立金木病院改革プランによれば、25年には黒字に戻す計画とか。
西北五地域自治体病院再編成プランでの新西北中央病院を中核病院とした再編ネットワーク化が計画のもと、サテライト医療機関として病院自体の経営の効率化を図り維持されていくようです。サテライトとは、西北中央病院に対して、金木以北地域の拠点病院となる診療所にはならない事だと思います。

金木病院の歴史は、明治11年“青森病院金木病院”が始まりで、翌年既に“公立金木病院”と名称を改めたそうです。この時代に医療行政が動き出し“公立金木病院”と名称だったことに驚き。
明治30年には法の改正の影響を受け“金木医院”と改称、開業医に経営委託されましたが、町営の病院設立が討議され、昭和11年に現在の三味線会館の場所に仮設、金木小学校が芦野公園の現在の場所に移転、その空校舎を改築して公的医療機関として再発足したそうです。
戦時中に経営不振で県農業会(農協)に売却、農協法の公布による影響などで厚生連の傘下病院となり経営不振に追い込まれるが、ここでも地域住民の運動により金木病院後援会が結成、病院復興計画を住民が支えたようです。どうにか持ちこたえてきた厚生連金木病院も、昭和33年10月に金木町と中里町で運営する現在の一部事務組合公立金木病院が発足したそうです。
これまで幾度となく地域住民の側面からの援助運動で支えられてきた、歴史ある“公立金木病院”今回の救急再開もこれまでの歴史と変りのない住民努力だったことを忘れないで居たいものです。
2009.06.25 鶏舎の仲間
今日15羽増えました。
生後65日頃の雛です。
あすなろ鶏44_512
鶏卵用で食肉にはしません。薄青の卵を産んでくれます。まだまだ時間がかかる話ですが。
生後145日が初産日の目安ですから。9月初旬となります。鶏のえさも一時の高値から下がり安定していますから助かっています。
2009.06.24 あるじゃ
今日は暑い一日でした。

鶴田町を通り、冷たいものでもと思ったら、ちょうどいい具合に“あるじゃ”があるじゃないですか。
“あるじゃ”の掲示板、現在の気温32度と表示されていました。

早速、スチューベンソフトを。
280円と一般的なソフトクリーム価格より少し高い値段設定ですが、果肉を練りこんであるそうでスチューベンの爽やかな甘酸っぱさが生かされているようです。無理な酸味も感じません。
スチューベンソフト_512

鶴田町のスチューベンぶどうはよく知られていますが、さくらんぼの栽培面積も県下有数だそうです。
以前、蕎麦のはちみつを採取するのにご指導をいただいた赤城正さんのいちばん農園の“ダイアナブライト”は大玉さくらんぼで高級果実として扱われていると、昨年新聞の記事で見かけましたが、今度図々しくお邪魔してみましょうかしら。そのサクランボはすごいらしいですから。
2009.06.23 コンビニ納税
今年から自動車税の納付がコンビニでも可能になりました。
自動車税納付_400
今日仕事の帰りにサークルKに寄ったのですが、ふと、手数料が掛かるのではないかと気になります。通知書を見ても手数料負担とは書いてません。

どうやらコンビニ納税の手数料は自治体、つまり青森県が負担するようで、県ではその分税収入が減ることになります。
県税事務所へわざわざ行くことで、税収入を増やしてあげることは出来ますが、コンビニの24時間しかも待たされること無くて済むのは面倒さを感じません。

おまけに、私の車は“環境負荷の大きい自動車”と扱われ、税率の重課対象となってしまいました。
乗りかえる経済的な余裕が無いので古い車を我慢して乗っているのに、ましてこの津軽平野のど真ん中では生活にどうしても欠かせない自動車の税率が上げられたのでは、そんなことにわざわざ気遣いしないでしょう。
なんて少し思うものの、税金をきちんと払わなければ公共サービスの低下にもつながりますから、滞納ももちろんいけないことです。
“国民は法律の定めるところにより納税の義務を負う” 納税は国民の義務なのですから。

大日本帝国憲法にも納税の義務は定められていたようで、唯一新旧両憲法に定められた義務だそうです。


2009.06.22 野里の湧き水
五所川原、長橋溜池山手の野里の湧水へ。
ここは中山観音にある“権現様の清水”と言われている湧水です。
野里の水1_512
野里の財産区が管理しているようで、境内はきれいに管理されています。
野里の水3_512
水質検査も行っているようです。
湧き出る量は多くは無く、水口はこのようになっていて、この画像だけ見たらどっかにある温泉のようですが、これも手を掛けていることの表れでしょうから、水を持ち出すときは、賽銭を入れることを心がけても良いかも知れません。
野里の水2_512
私たちがいる間にも大きなペットボトルに汲みに来ていた方がおりました。
朝早くぱらついた雨も上がり、昨年のような風も心配されず、スタッフとか応援のことを思うと天気には恵まれたようです。
ヨシヒロと佐野さん、かつて県民駅伝のメンバーという実績のあるふたりは、スタート前のウオーミングアップ等で早い会場入りが当たり前、もちろん私も付き合います。
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参加者1713人うちハーフマラソン848人がつがる克雪ドームからのスタートとなります。
開会式には福士加代子さんの姿も。
メロスマラソン10_512
え、走るの。と言えるような方の姿もずいぶんと見かけました。

9時スタート。歩こう会の人たちがが50人ほどスタッフとして沿道についていて声援をくれるので、ペースが上がってしまいます。
2km地点8分。飛ばしすぎだな。
立佞武多の館前、立佞武多「ヤッテマレ」の囃子応援。
5km地点21分。いいペースだぞ。
一気にスピードは落ちましたが毘沙門中間地点50分。行けるぞ。
15km地点。1時間15分
そこからは、照りつける日差しが首の後ろに差し込んでつらいです。
喜良市辺りからはずいぶんと声援もいただきますが、もう腿がいくらも上がらない状態です。
ただただ辛いことしか頭から離れず、それでも声援に押されるように走ります。
走るというより歩いている状態かも知れません。
斜陽館前では三味線の応援。
金木小学校ゴール。
1時間53分02秒。残り5kmで一気にスピードダウンしてしまいました。
目標の1時間45分には届かなかったのですが、昨年を3分以上上まっていますから、まあ、良しとしましょう。
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今日の観測値、五所川原で27.7度の暑さを記録、病院へ搬送された方が9名ほど出たようです。
スタート前から急激にあがった気温が原因でしょう。適宜の水分補給は条件です。

私がゴールして間もなく、全盲の秋田さんと、木造高校陸上部佐々木君(がゴール。要所陸上部の仲間がサポートする姿が美しく感じられました。それにしても秋田さん快走です。佐々木君もサポートを兼ねながらですからめいいっぱいの力を出し切ったのではないでしょうか。お疲れ様でした。完走おめでとうございます。


娘の応援へ間に合います。
11時30分スタート
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おじいちゃんの家の前を通り、斜陽館へ
文学通りで金木小学校へ帰ってきます。
さすがに3kmという距離は長かったでしょう。
無理せずにとアドバイスを送ったのですが、全く聞くわけがありません。
でも無事ゴール。
メロスマラソン14_512
お疲れ様でした。


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“走れメロスマラソン”、ハーフのスタート会場であるエルムの克雪ドームは、とても良い緊張感が周辺ををつつんでいます。
少し気温は高くなるのかも知れませんが、風も無く、湿ったとてもよい天気です。

会場はとても居心地いい感じです。
全く練習無しで参加ですので、ウオーミングアップだけは充分です。
怪我したら大変なことですから。

間もなく9時、スタートですね。
2009.06.20 太宰治検定

太宰検定5_512
五所川原第一中学校の会場向かいの“柳”で食事して時間調整、会場に入ってしまったら落ち着かないでしょうから2時までテキストをただ見まくります。他の受験者が数組居たので、話しかけて出題の予想を雑談。店の方から「頑張って」と励まされて会場へ。
会場の4組の教室に入ったら私以外は全て席についています。
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私はナンバー116で、席は一番後ろで、ん、落ち着きます。よし。
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問題用紙と回答用紙がが配られチャイムがなり開始。
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最初の問いは“太宰治の本名は?”
おい、簡単すぎでしょう。よし、これならいけると安心。
すすんでいってもほとんど憶えておいた範囲内。

当然のこととなってしまうのでしょうが、地元津軽の人に有利な出題です。
模擬試験をやっておけば、まず、7割の正解は出来るでしょうが、「小説“津軽”を読んだことがある」程度では、いくら太宰を知っていても合格は難しいラインかもしれません。
まあ、易しい問題であったことは確かです。

・・・・・・よし終わった。時間は開始してまだ20分。
再確認も、まあ、いいやということで開始30分で退場が許されますから即退席します。

わからなかった問題をひろうと、
問51 竜飛岬文学碑
写真から選択
他2つは知っていたのでクリア、そういえば昨年見に行ったんだけど記憶には無いが、正解

問63 林檎の花を見ると(  )の匂いを感ずる
1ふるさと、2母、3おしろい
母は違う、ふるさとはありきたり、“3”で正解

問73 疎開時や新座敷と関係の無い作品は?
1庭、2やんぬる哉、3もの思う葦
昨日、新座敷で“庭”と“やんぬる哉”は原きよさんが朗読した作品で、新座敷で書いた作品とか言っていたので“3”。もの思う葦は初期の作品で、正解

問87 新聞への随筆「五所川原」・・・・女の子の浴衣を着たエピソードが書かれていますなぜでしょう
1女装してみたかった、2どぶに落ちた、3着替えを忘れた
五所川原の叔母の家あたりは水路が多いから、あてずっぽで“2”で、正解

問28 青んぼという冊子を発行した兄は
1文治、2英治、3圭治
間違えた。3と書いてしまった。1長兄の文治だそうだ。
全問正解ならず。いや、無念です。

問98 ・・・・生まれてはじめて心の(   )を体験したと言ってもよい。・・・・
1幸せ、2平和、3無我
1と書いてしまった。“平和”はチェックした部分なのに。間違えた。

自己採点は2問不正解の98点、合格です。

無事終え会場を出ると、花田さんがインタビューを受けていました。おそらく、マスコミはこの格好によほど太宰を意識したと見たのでしょう。本当は仕事着なのに。
しっかり店と、太宰御膳のPRをしていました。
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5時からメロスマラソンの前夜祭なのですが、やばいです。風邪気味で鼻水、のどが痛いです。
明日メロスマラソンが終わってからなら具合悪くなっても良いのですが。
前夜祭は欠とし、体調管理しましょう。