2008.08.31
とうもろこし
嶽の“とうもろこし”が出始めているようです。毎年1坪オーナーになっている知り合いも何人かいるほど人気です。
今日いただいた“とうもろこし”は嶽とは岩木山の裏麓となる鰺ヶ沢長平の“とうもろこし”です。
“みぐみ”という品種でちょうど収穫が始まったところだそうです。

岩木山の北と南の違いは?分かりませんが、こちらも美味しいです。
“とうもろこし”は収穫したその日に食べるとたいてい美味しいのですが、山麓の“とうもろこし”は別格の味です。口の中で粒の水分がはじけると甘さがじわりと広がります。
この“めぐみ”に13分茹でると記していたのでそのとおりにしましたが、10分でよかったようです。
今日いただいた“とうもろこし”は嶽とは岩木山の裏麓となる鰺ヶ沢長平の“とうもろこし”です。
“みぐみ”という品種でちょうど収穫が始まったところだそうです。

岩木山の北と南の違いは?分かりませんが、こちらも美味しいです。
“とうもろこし”は収穫したその日に食べるとたいてい美味しいのですが、山麓の“とうもろこし”は別格の味です。口の中で粒の水分がはじけると甘さがじわりと広がります。
この“めぐみ”に13分茹でると記していたのでそのとおりにしましたが、10分でよかったようです。
2008.08.30
ひよこを鶏舎へ
一般的にはだいぶ早いようなのですが、生まれて10日で飼育器から鶏舎へ移しました。
鶏舎といっても側壁上部は三方金網でほぼ屋外、天気予報では今夜明日朝は20℃程度だそうで、飼育器を25℃以下まで下げていたので慣れたと思います。

木箱で風はあたらないようにし、保温電球ではない一般の電球で夜間照らすこととしました。

隣の親鶏たちが気にしている様です。一緒にするとあっという間に突付かれてしまいます。
真冬でも20日程度で入れたこともありますが、風さえ防げば生命力の強さを見せてくれます。
鶏舎といっても側壁上部は三方金網でほぼ屋外、天気予報では今夜明日朝は20℃程度だそうで、飼育器を25℃以下まで下げていたので慣れたと思います。

木箱で風はあたらないようにし、保温電球ではない一般の電球で夜間照らすこととしました。

隣の親鶏たちが気にしている様です。一緒にするとあっという間に突付かれてしまいます。
真冬でも20日程度で入れたこともありますが、風さえ防げば生命力の強さを見せてくれます。
2008.08.29
秋のトマト
近所の農家はほとんど稲作複合で野菜を作付しています。その中で栽培の多いのがトマトのようです。
田植の前後に苗を植えつけ、初夏には収穫出荷しているようで、稲刈りが始まるまで続きます。
出荷できない規格外の物を時々いただきます。

規格外といっても形が多少悪いか、塾しているかの違いで味は変わりません。と言うより赤くなってしまったもの、つまり熟してもぎ取ったものは市場には出せないのだそうで、市場に出回る頃に完熟するように完熟直前の青いトマトをもぎ取るのです。
一日見落としただけで赤くなってしまったトマトは地元の直売所でさばくことになります。
秋になるとトマトは皮が厚くなるそうですが、寒暖の差が大きくなると甘く美味しいものが収穫されます。
見栄えは落ちのすが地元のトマトはこれからも食べ頃が続くこととなる訳です。
田植の前後に苗を植えつけ、初夏には収穫出荷しているようで、稲刈りが始まるまで続きます。
出荷できない規格外の物を時々いただきます。

規格外といっても形が多少悪いか、塾しているかの違いで味は変わりません。と言うより赤くなってしまったもの、つまり熟してもぎ取ったものは市場には出せないのだそうで、市場に出回る頃に完熟するように完熟直前の青いトマトをもぎ取るのです。
一日見落としただけで赤くなってしまったトマトは地元の直売所でさばくことになります。
秋になるとトマトは皮が厚くなるそうですが、寒暖の差が大きくなると甘く美味しいものが収穫されます。
見栄えは落ちのすが地元のトマトはこれからも食べ頃が続くこととなる訳です。
2008.08.28
網戸にクモの巣
“網戸にクモの巣”
私のパソコンラックと娘の学習机が隣りあわせで、娘が宿題の漢字をやっています。

書き方とその漢字を使って10文字程度の文を2つ作る宿題ですが、“戸”という漢字に、「戸をあける」と「戸をこわす」と書いていたので、それじゃふたつ書く意味が無いよと言ったものの、私にもすぐには浮かばず、とっさに例をあげたのが、
“網戸にクモの巣”でした。
娘が大笑いしましたが、自分ではなんていい言葉なんだろうと自讃してしまいました。
私のパソコンラックと娘の学習机が隣りあわせで、娘が宿題の漢字をやっています。

書き方とその漢字を使って10文字程度の文を2つ作る宿題ですが、“戸”という漢字に、「戸をあける」と「戸をこわす」と書いていたので、それじゃふたつ書く意味が無いよと言ったものの、私にもすぐには浮かばず、とっさに例をあげたのが、
“網戸にクモの巣”でした。
娘が大笑いしましたが、自分ではなんていい言葉なんだろうと自讃してしまいました。
2008.08.27
あさがおの種
2008.08.26
セミの抜殻
先日子供と虫取りに行った時に見つけた抜け殻ですが、今年は暑さの厳しい日が幾日も無かったからか、セミの鳴き声が極端に少ない年でした。職場の窓から聞いたのも2、3回ほどで、建物の中に迷いこんで来ることもありませんでした。観測的にはそれほどの異常気象ではなかったようですが、これほどセミの鳴き声が無かったのはとても珍しいことです。


2008.08.25
“竜泊ライン”ウオーク
昨日、歩こう会8月例会の“竜泊ラインウオーク”参加。
このコースは歩こう会ではずいぶん早くから例会としたコースで、以前は自家用車乗合で事前に竜飛に車を置いて小泊まで戻ってスタートしていたこともありました。今回参加していた前会長によると、会設立前から有志で歩いていたコースだそうです。参加者が増えた今ではバスでの移動となって、コースのスタートが小泊道の駅20km、七ツ滝15km、鳥瞰台9kmの3コースが設定されています。
6時松島会館スタートですが私は途中拾ってもらいバスで合流します。
参加者、20kmコース18名 、七ツ滝コース11名、鳥瞰台コース16名の45名参加、私はもちろん20kmコース。
簡単な出発式の後、ウオーミングアップ、エールは私担当で7時スタート。

このところのヤマセがまた強く、8月の例会とは思えない天気でしたが、海岸からすくうように吹く西風は避けれ、全般に歩きやすい条件かもしれません。
以前聞いた話によると、この国道の辺りは津軽森林鉄道の路線があった場所だそうで昭和40年代まで”海岸鉄道“として活躍、いくつかトンネルも残っているそうです。この海岸線を丸太を積んだ車両が波を受け走っていた姿を想像しただけで壮大な光景が浮かんできます。
途中、七つ滝は名のとおり七段に落下し、国道をはさんで海辺からも眺められる安らぎを感じる滝です。 11kmコースはすでにスタートしていました。

はまなすの実がポツンと1個きれいに実っています。

後で詳しい会員に聞いたら食べられるとのことで、かじってみればよかったと後悔。
ほぼ平坦な海岸線を北上しますが、途中から鳥瞰台への登りは峠のような勾配を登ります。
ここが難所ですが、歩行が止まってしまうような物すごい風が時々直撃します。スキーのジャンプ選手のように前かがみになって進みます。

以前鳥瞰台から先でこのような風に遭いましたが、その時を知っている会員は今回の風と比較していました。私の記憶では、今回の方が強い風に感じます。
9時20分頃鳥瞰台到着。ここからの日本海の眺めはすばらしいものですが、途中から靄がかかり視界がほぼ無かったのが断念です。

ここで七ツ滝コースとほぼ合流。
鳥瞰台からは少しづつ下って行きます。加えて追い風となり楽な歩行ですが膝に多少負担がかかったいてようです。
竜飛岬到着、11時分10分。

途中の風に比べるとやわらぎましたが、やはり半島の先っぽです。風は結構吹いていました。
北海道を眺めることはできません。

ゴール後、各コースの参加者が揃ったところで雄乃湯温泉にて休憩、昼食です。
久しぶりの竜泊ラインの参加でしたが、数年前の例会を思い出しながら歩けました。
太宰が小説“津軽”で最初に旅した竜飛と、その後タケに会う旅をした小泊を結ぶ道となるわけです。
このコースは歩こう会ではずいぶん早くから例会としたコースで、以前は自家用車乗合で事前に竜飛に車を置いて小泊まで戻ってスタートしていたこともありました。今回参加していた前会長によると、会設立前から有志で歩いていたコースだそうです。参加者が増えた今ではバスでの移動となって、コースのスタートが小泊道の駅20km、七ツ滝15km、鳥瞰台9kmの3コースが設定されています。
6時松島会館スタートですが私は途中拾ってもらいバスで合流します。
参加者、20kmコース18名 、七ツ滝コース11名、鳥瞰台コース16名の45名参加、私はもちろん20kmコース。
簡単な出発式の後、ウオーミングアップ、エールは私担当で7時スタート。

このところのヤマセがまた強く、8月の例会とは思えない天気でしたが、海岸からすくうように吹く西風は避けれ、全般に歩きやすい条件かもしれません。
以前聞いた話によると、この国道の辺りは津軽森林鉄道の路線があった場所だそうで昭和40年代まで”海岸鉄道“として活躍、いくつかトンネルも残っているそうです。この海岸線を丸太を積んだ車両が波を受け走っていた姿を想像しただけで壮大な光景が浮かんできます。
途中、七つ滝は名のとおり七段に落下し、国道をはさんで海辺からも眺められる安らぎを感じる滝です。 11kmコースはすでにスタートしていました。

はまなすの実がポツンと1個きれいに実っています。

後で詳しい会員に聞いたら食べられるとのことで、かじってみればよかったと後悔。
ほぼ平坦な海岸線を北上しますが、途中から鳥瞰台への登りは峠のような勾配を登ります。
ここが難所ですが、歩行が止まってしまうような物すごい風が時々直撃します。スキーのジャンプ選手のように前かがみになって進みます。

以前鳥瞰台から先でこのような風に遭いましたが、その時を知っている会員は今回の風と比較していました。私の記憶では、今回の方が強い風に感じます。
9時20分頃鳥瞰台到着。ここからの日本海の眺めはすばらしいものですが、途中から靄がかかり視界がほぼ無かったのが断念です。

ここで七ツ滝コースとほぼ合流。
鳥瞰台からは少しづつ下って行きます。加えて追い風となり楽な歩行ですが膝に多少負担がかかったいてようです。
竜飛岬到着、11時分10分。

途中の風に比べるとやわらぎましたが、やはり半島の先っぽです。風は結構吹いていました。
北海道を眺めることはできません。

ゴール後、各コースの参加者が揃ったところで雄乃湯温泉にて休憩、昼食です。
久しぶりの竜泊ラインの参加でしたが、数年前の例会を思い出しながら歩けました。
太宰が小説“津軽”で最初に旅した竜飛と、その後タケに会う旅をした小泊を結ぶ道となるわけです。
2008.08.24
帰省その2
続き
思い出として残っている岩木山の麓での味噌づくり講習(たしか“山田学校”とかいうグリーンツーリズム)ですが、参加後は我家は自家製味噌となっています。
といっても、仕込みは大豆と米を持ちこんで、古くからある地元の味噌屋さんにお願いします。
もちろん大豆は地元の転作田で生産した大豆、米は家の田んぼの米で、添加物など余計なものは一切使いません。

最初切り返ししてその後は熟成させるだけです。熟成といっても寝かせるだけですが。タマリが出ますが除きすぎると味が悪くなるも聞いたので適量を取り大豆100%のタマリ醤油として使います。
一夏越せば食べれるようですが、最初の頃はどうしても塩気が分かれて感じますが徐々に香りも味もよくなりますから、3年が必要なのでしょうか。
いっきに作り過ぎて我が家だけで食べるのは5年分ぐらいもありますが、6年味噌というのも市販されていますから管理さえしっかりすれば大丈夫でしょう。徐々に味噌が赤くなるらしいので楽しみながら使いましょう。

思い出したかのように状態を確認しました。
思い出として残っている岩木山の麓での味噌づくり講習(たしか“山田学校”とかいうグリーンツーリズム)ですが、参加後は我家は自家製味噌となっています。
といっても、仕込みは大豆と米を持ちこんで、古くからある地元の味噌屋さんにお願いします。
もちろん大豆は地元の転作田で生産した大豆、米は家の田んぼの米で、添加物など余計なものは一切使いません。

最初切り返ししてその後は熟成させるだけです。熟成といっても寝かせるだけですが。タマリが出ますが除きすぎると味が悪くなるも聞いたので適量を取り大豆100%のタマリ醤油として使います。
一夏越せば食べれるようですが、最初の頃はどうしても塩気が分かれて感じますが徐々に香りも味もよくなりますから、3年が必要なのでしょうか。
いっきに作り過ぎて我が家だけで食べるのは5年分ぐらいもありますが、6年味噌というのも市販されていますから管理さえしっかりすれば大丈夫でしょう。徐々に味噌が赤くなるらしいので楽しみながら使いましょう。

思い出したかのように状態を確認しました。
2008.08.23
帰省
日頃からお世話になっている家族の末っ子が夏休みで帰省。
料理人の道を選び、調理学校、フランス留学を経て現在新宿のレストランで修行しており、洗い物の洗剤のせいか手のひらから指先までひび割れが痛々しく見えます。
学生時代は両親をだいぶ悩ませたりしたようにも見えましたが、学校も部活も最後まで続け、インターハイ出場の目標を達成した経験はこの先大きな励みになることでしょうから、極度に挫折することなく道を歩いていけると思います。
短い夏休みで今日早速に帰るそうですが、“頑張れ”と励ましたくなる頼もしさが感じられる青年になっておりました。
彼が高校生の時に岩木山麓へ一緒に行った“味噌づくり教室”などの思いでがありますが、ハプニングとして、ある日店に貴乃花の二子山親方が突然見えたときに一緒に撮った写真があり、その時彼のお父さんが持っている中で一番高価と思われる絵皿にサインしてもらったため、その勢いで私もと思いとっさに着ていたワイシャツの背中に書いてもらったのです。怒られると思いしばらくは家族に見られないよう隠しておりましたが、今は2階の部屋にさげてあります。

彼の勤めるレストランを検索すると、とても私が入れるような店でありませんでした。ご利用上のお願いに“男性のお客様にはジャケットの着用をおすすめします”とのことですから。
料理人の道を選び、調理学校、フランス留学を経て現在新宿のレストランで修行しており、洗い物の洗剤のせいか手のひらから指先までひび割れが痛々しく見えます。
学生時代は両親をだいぶ悩ませたりしたようにも見えましたが、学校も部活も最後まで続け、インターハイ出場の目標を達成した経験はこの先大きな励みになることでしょうから、極度に挫折することなく道を歩いていけると思います。
短い夏休みで今日早速に帰るそうですが、“頑張れ”と励ましたくなる頼もしさが感じられる青年になっておりました。
彼が高校生の時に岩木山麓へ一緒に行った“味噌づくり教室”などの思いでがありますが、ハプニングとして、ある日店に貴乃花の二子山親方が突然見えたときに一緒に撮った写真があり、その時彼のお父さんが持っている中で一番高価と思われる絵皿にサインしてもらったため、その勢いで私もと思いとっさに着ていたワイシャツの背中に書いてもらったのです。怒られると思いしばらくは家族に見られないよう隠しておりましたが、今は2階の部屋にさげてあります。

彼の勤めるレストランを検索すると、とても私が入れるような店でありませんでした。ご利用上のお願いに“男性のお客様にはジャケットの着用をおすすめします”とのことですから。
2008.08.22
風の町蟹田 観瀾山
蓬田村への用事のついでに立ち寄り。というか、少し足を延ばします。
太宰が小説“津軽”で旅する蟹田町。現在は外ヶ浜町となり町村合併した三厩とともに太宰ゆかりの地として観光の目玉に充てています。
町のキャッチフレーズ“風のまち”は、太宰治が小説“津軽”のなかで「蟹田ってのは、風の町だね」と書いたことからでしょう。ほんの一節ですがその文学作品の影響力に驚きです。
駅のホームにも木で彫られた標示があり、3セクの名前まで“風のまち振興公社”とされ、蟹田風太鼓ってのまであります。
太宰は小説“津軽”で、中学時代の同級生“N君”こと中村貞次郎氏宅に泊まり、“観瀾山”で花見をしたことが書かれております。

浜辺から国道を越え、石を埋め込んだ階段を上ります。

その観瀾山は公園として整備されて、最も見晴しのよい場所に太宰治文学碑が建てられています。

文学碑の横に立つと小説に書かれてある蟹田の風景に「なるほど」と納得します。

文学碑に刻まれたある言葉は、 “かれは、人を喜ばせるのが 何よりも好きであった” です。太宰の小説“正義と微笑”の一節で、師井伏鱒二が選んだ言葉だそうですが、“誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか”とした太宰が好きな言葉だそうです。

太宰治の文学碑は、その友人Nくんの尽力により、昭和31年8月6日建立され、除幕式には、美知子夫人、長女園子さん、作家の井伏鱒二、檀一雄、伊馬春郎、小山清、北畠八穂ら多数が参列したと書かれています。
風の町を象徴するようにここの公園の松の防風林は風に押されてか斜めになっています。

風の町川柳大賞句碑もたくさん置かれていました。
太宰が小説“津軽”で旅する蟹田町。現在は外ヶ浜町となり町村合併した三厩とともに太宰ゆかりの地として観光の目玉に充てています。
町のキャッチフレーズ“風のまち”は、太宰治が小説“津軽”のなかで「蟹田ってのは、風の町だね」と書いたことからでしょう。ほんの一節ですがその文学作品の影響力に驚きです。
駅のホームにも木で彫られた標示があり、3セクの名前まで“風のまち振興公社”とされ、蟹田風太鼓ってのまであります。
太宰は小説“津軽”で、中学時代の同級生“N君”こと中村貞次郎氏宅に泊まり、“観瀾山”で花見をしたことが書かれております。

浜辺から国道を越え、石を埋め込んだ階段を上ります。

その観瀾山は公園として整備されて、最も見晴しのよい場所に太宰治文学碑が建てられています。

文学碑の横に立つと小説に書かれてある蟹田の風景に「なるほど」と納得します。

文学碑に刻まれたある言葉は、 “かれは、人を喜ばせるのが 何よりも好きであった” です。太宰の小説“正義と微笑”の一節で、師井伏鱒二が選んだ言葉だそうですが、“誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか”とした太宰が好きな言葉だそうです。

太宰治の文学碑は、その友人Nくんの尽力により、昭和31年8月6日建立され、除幕式には、美知子夫人、長女園子さん、作家の井伏鱒二、檀一雄、伊馬春郎、小山清、北畠八穂ら多数が参列したと書かれています。
風の町を象徴するようにここの公園の松の防風林は風に押されてか斜めになっています。

風の町川柳大賞句碑もたくさん置かれていました。
2008.08.21
太宰治ねぶた
今日から長袖にしました。暑い日はまだ残るのでしょうが、娘の夏休みも今日で終わり、各地の夏まつりの賑わいは終わったようです。
夏の期間特別に賑わっていた津軽三味線会館前も落ち着いたようで、ステージに置かれた“太宰ねぶた”も悩ましげさが和らいだでしょうか。この位置だと斜陽館を眺めて悩んでいることのなっています。

太宰治のあの有名な“頬に手をあて考え込む表情”のねぶたは、4年程前に何処かの祭りで運行した作品をいただいたものだそうです。(新聞に載った気がする)
通常は斜陽館の館内に置かれてあるので、入場券が無いと見れないものとなってしまいます。一部には斜陽館に展示するには不似合いとの声も聞かれますが、実際のねぶた祭りのために作られ、ねぶた運行でその勇姿を飾ったものでありますから、そんな簡単に不似合いといわれても、
だって“ねぶた”なんですからぁ。 何処におけばいいのよぉ、 だってぇ“太宰治”何ですものぉ。って、頬に手をあて同じポーズをしていました。
訪れる観光客に、この表情のねぶたを見ていただくのもいいじゃないかと思います。
夏の期間特別に賑わっていた津軽三味線会館前も落ち着いたようで、ステージに置かれた“太宰ねぶた”も悩ましげさが和らいだでしょうか。この位置だと斜陽館を眺めて悩んでいることのなっています。


太宰治のあの有名な“頬に手をあて考え込む表情”のねぶたは、4年程前に何処かの祭りで運行した作品をいただいたものだそうです。(新聞に載った気がする)
通常は斜陽館の館内に置かれてあるので、入場券が無いと見れないものとなってしまいます。一部には斜陽館に展示するには不似合いとの声も聞かれますが、実際のねぶた祭りのために作られ、ねぶた運行でその勇姿を飾ったものでありますから、そんな簡単に不似合いといわれても、
だって“ねぶた”なんですからぁ。 何処におけばいいのよぉ、 だってぇ“太宰治”何ですものぉ。って、頬に手をあて同じポーズをしていました。
訪れる観光客に、この表情のねぶたを見ていただくのもいいじゃないかと思います。
2008.08.20
ストーブの準備
昨夜から雨で、ヤマセが吹いて肌寒を感じる日でした。
子どもたちは長袖で家を出ましたし、日中建物内でも長袖の人が結構いたくらいです。
ねぶたで夏が終わり、お盆を過ぎると秋の始まりという津軽の気候のとおりに、これから寒さが日毎感じるようになります。

というわけで、我家のストーブ、調子の悪い2台を夏のうちに点検してもらおうと思っていましたが、もう急がないといけないようです。ついこのあいだまでストーブ焚いていた気がしますが。
青森市のメーカーのテクニカルサービスへ持込しました。
子どもたちは長袖で家を出ましたし、日中建物内でも長袖の人が結構いたくらいです。
ねぶたで夏が終わり、お盆を過ぎると秋の始まりという津軽の気候のとおりに、これから寒さが日毎感じるようになります。

というわけで、我家のストーブ、調子の悪い2台を夏のうちに点検してもらおうと思っていましたが、もう急がないといけないようです。ついこのあいだまでストーブ焚いていた気がしますが。
青森市のメーカーのテクニカルサービスへ持込しました。