| Home |
2018.06.04
小野忠造の碑
通勤途中にあるふたつの石碑、
毎日のように通りますが何の碑なのか、共通する碑であることは当然知らずでした。
生涯を治水にかけた人物、偉大な小野忠造さんを讃える碑です。
鶴ケ岡と藻川の5km離れた場所に存在します。
鶴ケ岡の岩木川堤防沿いに“小野忠造翁頌徳之碑”

県道からは見上げるように建ちます。

碑の裏の碑文には、
十川の築堤、岩木川の改修で、“水魔の災害根絶に身命を捧げる”と讃えています。

そして5km離れた藻川の北部には、
“小野忠土手跡の碑”です。

私設堤防“小野忠土手”は国の堤防工事後は農道として使われていたが、基盤整備事業により姿を消し、
小野忠土手が幻となることを惜しみ翌年碑を建てたということ。

どちらも地域の人々によって建てられた石碑です。
そして、
岩木川の国直轄の改修事業が始って今年が丁度100年、縁の地、施設を巡るウオーキングが県の連盟で計画に入りました。
もちろん子供たちの参加を呼び掛けることになるでしょう。
防災意識、さして小野忠造さんの尽力を後世に伝えることが必要です。
通勤道沿いの歴史を改めて知りました。
そして、今朝の岩木山です。

毎日のように通りますが何の碑なのか、共通する碑であることは当然知らずでした。
生涯を治水にかけた人物、偉大な小野忠造さんを讃える碑です。
鶴ケ岡と藻川の5km離れた場所に存在します。
鶴ケ岡の岩木川堤防沿いに“小野忠造翁頌徳之碑”

県道からは見上げるように建ちます。

碑の裏の碑文には、
十川の築堤、岩木川の改修で、“水魔の災害根絶に身命を捧げる”と讃えています。

そして5km離れた藻川の北部には、
“小野忠土手跡の碑”です。

私設堤防“小野忠土手”は国の堤防工事後は農道として使われていたが、基盤整備事業により姿を消し、
小野忠土手が幻となることを惜しみ翌年碑を建てたということ。

どちらも地域の人々によって建てられた石碑です。
そして、
岩木川の国直轄の改修事業が始って今年が丁度100年、縁の地、施設を巡るウオーキングが県の連盟で計画に入りました。
もちろん子供たちの参加を呼び掛けることになるでしょう。
防災意識、さして小野忠造さんの尽力を後世に伝えることが必要です。
通勤道沿いの歴史を改めて知りました。
そして、今朝の岩木山です。

| Home |