2009.05.24 傍島の家3
飛びましたが、続きです。

表札の傍島正守氏は太宰治とは深く関わりのある方だそうです。
14歳の太宰治が通っていた高等小学校での担任を務めた方で、従姉の夫でもあります。
そのため傍島家には“やま源”の屋号が入ったものも残っていたらしいです。
津島家と傍島家に深いつながりがあったことで、かなぎ元気クラブがこの事業を手がけた理由でしょうから。合併前には町が買い取る話もあったそうですが実現せずにいたようです。
傍島3_400

そして、古い話ですがこのような事も。
金木は“津軽三味線発祥の地”とされていますが、“津軽選挙発祥の地”でもあります。
昭和30年の町村合併の時の選挙がそのいわれだそうで、偽の投票用紙が発覚したり、筆記が同じものが相当あったりしたようで、選挙長が強引に開票を中止したというのです。
そして新たに選挙長に選任されたのが傍島正守です。ところが、ひとりの候補に800票以上もの無効票をつくり当選人を決めてしまったというのですから。それを県の選管が開票しなおしてひっくり返り、ふたりとも当選してしまったという今では理解できない話です。当選したのが太宰治の兄津島英治だったとのことです。
その出来事を、1年後に振り返えり町広報の記事にしていますが、発行者が町長ですからこれもまた偏った見方で、今でも図書館に行けば“金木だより縮刷版”という町広報を冊子したものがありますので、そちらをみるのも変に面白いです。

と、書き込みましたが、以前聞いた話などをつなぎ合わせた、私が知っている話で確認はしていないので間違いもあるかも知れませんが。
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