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2016.06.18
板柳歩き
今月号の“あおもり草子”の特集、“石田三成の縁 津軽関ヶ原2”
天下分け目の関ヶ原、敗軍の石田三成の次男を津軽家が匿った地が板柳の深味だという。
少し検索
津軽家は石田三成の尽力により南部家から独立、
三成の娘辰姫が津軽家に嫁ぎ、津軽家三代信義は三成の孫となる。
三成の子孫・杉山家は代々家老職などを務めながら幕末まで津軽家に仕えた。
津軽と石田三成の縁はとても深いそうです。
まあ、特集に誘われて板柳歩き。
ニュートンのりんご、ふるさとセンターからGO、

岩木川土手へ上がっても、岩木山は望めず、

無量庵のイチイの木は、県天然記念物だそうですが、
今は枝が切られ迫力はありませんが、それでも相当な樹幹。

そして、深味集落へ、
石田三成の次男重成が隠れ住んだ地であり、
八幡宮が石田家ゆかりの神社で、
津軽での別名の杉山から“杉山八幡宮”と呼ばれていたそうです。

石田家のことも書かれ、拝殿入り口に資料も置かれていました。

本堂の裏の畦道を数百メートル進み通りに出たところが、
石田三成の次男重成が隠れ住んだ家があった場所らしい。

標柱の向こう、
敷地内のアカマツの巨木は、当時植えられたものであろうと紹介されています。

根元には墓碑も建っています。

少し離れたこの角度が迫力ありでした。

石田路といわれた路はこのりんご園の農道のようで、
正面向こうの松が、杉山屋敷のアカマツ。

板柳のりんご園は丁度薬剤散布の時期、

そして鶴田町に入ると、
スチューベン栽培は葉取り作業が繁期の様です。

板柳歩き2へ続きます。
天下分け目の関ヶ原、敗軍の石田三成の次男を津軽家が匿った地が板柳の深味だという。
少し検索
津軽家は石田三成の尽力により南部家から独立、
三成の娘辰姫が津軽家に嫁ぎ、津軽家三代信義は三成の孫となる。
三成の子孫・杉山家は代々家老職などを務めながら幕末まで津軽家に仕えた。
津軽と石田三成の縁はとても深いそうです。
まあ、特集に誘われて板柳歩き。
ニュートンのりんご、ふるさとセンターからGO、

岩木川土手へ上がっても、岩木山は望めず、

無量庵のイチイの木は、県天然記念物だそうですが、
今は枝が切られ迫力はありませんが、それでも相当な樹幹。

そして、深味集落へ、
石田三成の次男重成が隠れ住んだ地であり、
八幡宮が石田家ゆかりの神社で、
津軽での別名の杉山から“杉山八幡宮”と呼ばれていたそうです。

石田家のことも書かれ、拝殿入り口に資料も置かれていました。

本堂の裏の畦道を数百メートル進み通りに出たところが、
石田三成の次男重成が隠れ住んだ家があった場所らしい。

標柱の向こう、
敷地内のアカマツの巨木は、当時植えられたものであろうと紹介されています。

根元には墓碑も建っています。

少し離れたこの角度が迫力ありでした。

石田路といわれた路はこのりんご園の農道のようで、
正面向こうの松が、杉山屋敷のアカマツ。

板柳のりんご園は丁度薬剤散布の時期、

そして鶴田町に入ると、
スチューベン栽培は葉取り作業が繁期の様です。

板柳歩き2へ続きます。
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