早朝、青森駅。
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そして、八甲田丸。
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出発後もコースの迷いがあったのですが、八甲田方面、萱野高原、城ヶ倉、酸ヶ湯・・・・・・
雪中行軍遭難像へ向かうとしましょう。で横内から迂回し、
幸畑の雪中行軍遭難資料館立ち寄り。
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少し長居して、職員さんにとても親切にしていただきました。
幸畑陸軍墓地は亡くなった遭難者の墓標が整然と並び、
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幸畑陸軍墓地を囲んだ赤松も印象的で、
枝の低い部分から分かれる四国から取り寄せた松とのこと。
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資料館には当時の服装が再現され、わら靴と軍手であったようで、
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凍傷対策として、唐辛子をわら靴に入れる指示がされたようで、
東京からゴム靴持参した隊員は生存したようです。
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そして、雪中行軍遭難像、後藤伍長像へ向かいます。
途中まではサイクリングコースが併設、
とにかく緩いのぼりが延々続きます。
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後藤伍長像がある場所は青森歩兵第5連隊が遭難した場所に建てられていますが、
発見されたのは、それより5kmほど青森寄りで、看板表示と木標柱が管理されています。
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発見場所からしばらく歩くと、昨年の十和田湖に続き熊に遭遇、
50メートルは離れていましたので、来そうだという感じでは無く、
自動車も頻繁に通っていましたから直ぐに笹薮に入っていきました。
でも、今回の私は引き換えして、しばらくしてから再出発となりました。
カメラの準備が間に合いませんでしたが大きな熊に遭遇です。

八甲田雪中軍遭難事故は死者199名という雪山遭難史上最悪の惨事となったのですが、
その原因は、冬山への意識の薄さのようで、
熊遭遇対策の意識の無さが私には有るようで、まさか遭わないだろうとまったくの対策無しですから恐ろしいことかも知れません。


その先、露営地も知らされています。
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そして、後藤伍長像、本名は房之助というそうで、
凍結した様で立っていたのを発見され、10分で気が付いた気絶状態だったらしく、
生還後、岩手の地元で村会議員をしたらしい。
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ここから酸ヶ湯の通りへ迂回、
この辺りはブナが印象的。
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そして、萱野高原到着。
ここの名物は長生きのお茶で変わっていませんね。
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ここから、JRバスへ乗り込み、
資料館で書いていただいたメモ、バスは1日4本だけですから、
ここまで少し急ぎました。
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観光客の方々との乗車で無事青森駅着、
三内遺跡、新青森駅経由ですが、皆さんここで下車です。
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GPSの結果、
歩行距離 30.74km
実歩行時間 5:07となっております。
GPS雪中軍歩き_600
登りが長く、とても疲れを残すウオークとなりました。
達成感は有りますが。

A-FACTORYでの遅い昼食は、ガレットランチ、
シャモロックの燻製と生りんごのガレット、
ファクトリー_600
これ、誠に美味しでした。


そして、今朝岩木山は望めませんでした。

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