2014.12.31 今年は“駄”
今年も今日で終わりです。
役目でもある、屯所にお供え。
お供え_600
そして、恒例でおじいちゃん家での年越し。
千賀おせち (3)_600
少し無理しておせち準備。今年は生おせちとなりました。


ここ3年は散々な年ですね。
ひとつの目標があれば、たとえどんな恵みを得たとしても、幸せと感じるには程遠いものです。さて、どうしましょうか。
だいぶ参ってきていますからね。

大きく体調は崩していませんが、
20代前半に85kgあった体重は、一昨日は58kgとなっていますね。

普段の姿もけっして印象の良い姿とは離れています。
車の中、職場、そして家でもため息が漏れまくっていますから。
知り合いには「レジで絶対舌打ちしている雰囲気」だそうです。舌打ちしたことなんかありませんよ。

まあ、他は良しとして子供たちにはこんな姿はよろしくないようで、
無理にも自分を意気込ませる方法が必要となっていますね。


このブログをはじめて7回目の正月となります。

子どもたちもまあ順調に成長しているわけで、そしてPTA組織に関わったりで何かと多くの場面で耳にする言葉に“コミュニケーション能力”があります。今年は多かった印象。

私なりには、
ただ、隔たりを埋めるのがコミュニケーションではないでしょうね。
隔たりを上手く扱うのがコミュニケーション能力であり、それはその人が持つ技量が大きいので、コミュニケーション能力のある人は、結果相手に共感出来る素振りの上手い人なのですかね。
“相手の立場になって話すこと”と言うようですが、“相手の立場になって聞くこと”も含むとしたら、そんな場面の雰囲気なんて恐ろしいですから。企業の求人でいうコミュニケーション力なんて全く別な意味でしょうしね。
互いの力が共に膨れ上がるのがコミュニケーションの力でしょう。面倒なことです。

“自分を演じるということ”
太宰は“弱さを演じる”ことがコミュニケーションの技法であったようです。
“自分は駄目な人間なんだ”という自分の隙の中で相手を迷わせコントロール出来るという面倒な方法です。そんな方法は全てには通じませんが、その中には、まず人を傷つけないという前提があり、傷つけあうことを避けることは弱い人間のすることではないわけで、太宰が弱い人間とはなりませんね。

「自分の長所と短所を説明ください」と問われたら、就職の面接であれば長所を述べるかも知れないが、結果を伴わないものだったら“短所”を話すと思いますね。
自分の長所なんか恥ずかしくて語れませんから、短所の中でこうやって補っていると述べるでしょうね。
そうすると、気の利かない相手は「聞いていることではない」となるから厄介ですね。

コミュニケーション能力とは、
“相手に不快を感じさせないで、自分の意思感情を伝える能力”でしょうね。
コミュニケーションをとる技法、テクニックについて、自分の方法を持つことで良いんです。そんな難しいものにしなくて良いようです。

さて、新年は何事も後退の無いように心がけることです。
若い頃必死で自分に言い聞かせていた、“マイナスをつくらなければ、結果前進していることとなる”を原点に・・・・・・。

そういえば、
今年を振り返って漢字一文字で表すと“駄”ですね。

今年を振り返ってです。
Secret

TrackBackURL
→http://akatarou.jp/tb.php/2642-1f904fb2