5月なのに、観測では2日続きの真夏日となりました。

金木小学校の校章の由来については、消失により残されていないとされていましたが、
以前、東奥日報の記事で紹介されていました。
校章由来記事 抜き_600
記事をひろうと、
“雪の結晶の一片に、金の字と木の字を円に配し、半年間も雪の中に埋もれる雪国の子供らしく、寒さにも負けずに強くたくましく元気いっぱいに育ち、しかも円満な人格を養い郷土を愛する愛する人になるようにと願って、清らかに美しくはえる校章を仕上げた。大正5年11月10日に制定したが、創作にあたっては当時の教職員が何回も会合をもって話し合い、決定までに数ヶ月を要するという苦心の末の作品である。”

東京オリンピックの年のとても古い記事ですが、当時東奥日報が学校の校章を順次紹介していたようです。

校章の制定が大正5年11月ですから、ずいぶんと歴史があることに驚きます。
学校が“金木第一尋常小学校”と称していた時代で、太宰が学校に入学したのがその大正5年であると年譜から確認すれば、太宰が入学した年に先生方が一生懸命に創作していたこととなるわけですね。
いやいや、校章にも歴史を感じます。


今朝、岩木山は望めませんでした。
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