入門太宰治からの続きとなります。
入門太宰7 _600
先日書き込んだその①の、その人間像での“特異な性格”の三つ目の“文人気質”はこの括りに表れます。
作品を通して太宰がどの思いで書いたかを、小野さんが導く訳ですが、
1章同様に気になった部分を引き出すと、

二 文学と作品
一つの約束
  この文章によって、太宰は文学の持つ意義と作家の果たす役割を明らかにしようとしています。小説津軽は事実を移しだすだけではなく、事実以上のもの、つまり可能な世界を創作するものであるとしています。
お月様が地上の出来事をながめているアンデルセンの「絵のない絵本」の様に幼い純情さにもうったえる誠実さをもって「一つの約束」が太宰によって書きつづられたのです。
他人の幸福を積極的にきずいてやることはできなくても、それをさまたげない様にしようという消極的な態度でせいいっぱいの誠実さを示そうとつとめている人たちに対して太宰は心から共感を覚え、そのような人たちのためにこそ小説を書こうと思いつづけたのです。

遺書という名の小説
「思い出」は彼自身の成長していく魂の記録を書いたという印象を与あたえます。
井上靖「追いつめられて遺書を書くことができなかった人たちに代わって遺書を書くのが創作でありそれが作家の任務です。そういう意味で創作をこころみた代表的な作家は太宰治です。」
遺書のつもりで書いた小説がいつの間にか、彼自身が生きていくためのよりどころとなったということは、多数の心弱き人々に代わって世に残した遺書という名の小説として読むべきものだと思います。

義について
 彼は自分だけは理解しているが、他人を説得できない、複雑で微妙な行為の、精神内部における動機づけを義にもとめたのであります。この場合の義はすでに私たちが倫理的な体系の中で用い、そして理解したと思っている、あの義とは意味もニュアンスも、非常に異なっているところに問題があるわけです。
太宰が残した永遠の宿題であるといえるかも知れません。
わかったと思うときに、すでにそれは“義”ではないでしょう。

走れメロス
 この一篇によって太宰が本来持っていた無類の明朗さが証明されると思います。ここに描かれた勇者メロスは太宰が理想像として抱いていた一個の典型であったのです。

正義と微笑
 太宰の作品中で健康ないぶきに溢れている。
 かれ自身が二度と繰り返すことのできない青春の賛歌を歌っている様に思われます。
 この日記の中の「俳優」を「作家」と置き換えれば、それがそのまま太宰の人柄と決意を示した文章であります。
“かれは、人を喜ばせるのが、何より好きであった!”

人間失格
 これは自叙伝でも、自伝小説でもありません。準自叙伝という名でよんでいる人もありますが、内容を十分に検討し、理解した上ではそう呼んでもいいのではないかと思います。
 この一篇は、太宰が実人生において体験した苦汁、すなわち精神的な創傷となって残った一連の事件に、作為を加えて小説化したものであるということができます。


小野正文さんの太宰への導きで、益々共感が増すこととなります。

そして、今朝の岩木山です。
岩木山2-10_600
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