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2014.02.04
小野正文を偲ぶ
太宰治の友人であり太宰研究家、
そして金木小学校の校歌の詞を書いた故小野さんのことを少しでも知ろうと見つけたのが、
“小野正文を偲ぶ”、

小野さんが顧問を務めた弘前ペンクラブの編集です。
発行は未知谷で、さすがにとても丁寧なできれいな製本です。

小野正文作品抄、作品解題、随想、小野正文論などの構成で、随想は多くの方がそれぞれの小野さんの想いを記しています。
木下巽さんも書かれていますね。

木下さんの筆をひろうと、
小野正文さんは昭和41年の桜桃忌から計画などに深く関わり、平成18年の生誕祭での世話人代表の挨拶を最後の大任とし、40年以上世話人代表の役目を務めたそうです。
そして、文学碑の沿碑である顕彰碑は、小野さんの文面で直筆だそうです。
小野さんの太宰生誕祭への思いも紹介されています。
小野正文さんはお父さんの仕事の都合で岩手県久慈市で生まれたそうですが、なかには青森県生まれという紹介も有ります。それは、お父さんが青森営林局の職員で転勤とともに引っ越していたようで、そのお父さんは五所川原市旧三好村の出身ということで、五所川原にもうひとつ縁がある訳ですね。
そして、今朝岩木山は望めませんでした。
そして金木小学校の校歌の詞を書いた故小野さんのことを少しでも知ろうと見つけたのが、
“小野正文を偲ぶ”、

小野さんが顧問を務めた弘前ペンクラブの編集です。
発行は未知谷で、さすがにとても丁寧なできれいな製本です。

小野正文作品抄、作品解題、随想、小野正文論などの構成で、随想は多くの方がそれぞれの小野さんの想いを記しています。
木下巽さんも書かれていますね。

木下さんの筆をひろうと、
小野正文さんは昭和41年の桜桃忌から計画などに深く関わり、平成18年の生誕祭での世話人代表の挨拶を最後の大任とし、40年以上世話人代表の役目を務めたそうです。
そして、文学碑の沿碑である顕彰碑は、小野さんの文面で直筆だそうです。
小野さんの太宰生誕祭への思いも紹介されています。
小野正文さんはお父さんの仕事の都合で岩手県久慈市で生まれたそうですが、なかには青森県生まれという紹介も有ります。それは、お父さんが青森営林局の職員で転勤とともに引っ越していたようで、そのお父さんは五所川原市旧三好村の出身ということで、五所川原にもうひとつ縁がある訳ですね。
そして、今朝岩木山は望めませんでした。
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