2013.08.22 奴踊りの碑
“嘉瀬と金木の間の川コ、石コ流れで木の葉コ沈む”田植え踊りといわれる嘉瀬の奴踊りの歌詞です。

その川コは小田川で川沿いに記念の石碑が建てられています。
奴踊り碑_600
現在では上流に羽柴誠三氏の小田川城、そして小田川ダムが川の起点です。

嘉瀬の奴踊りは、労働歌の一節が受け継がれてきたといわれ、金木新田開拓のため津軽藩から派遣された鳴海伝右エ門氏のことを部下たちが慕い歌ったものだと言われています。
金木郷土史でも、
“誠実な人が恵まれず、上役に要領良くとりいる者が「ノサバル」ことを暗に言ったものだろうと言われ、いわゆる「この世はさかさまだ」ということを風刺した、農民のレジスタンスを秘めた唄とみてよいであろう。”
と紹介されています。
奴踊り碑 (1)_600
石碑の後ろには奴踊りのことが詳しく書かれてあり、後に広め伝えたのが仁太坊の弟子で嘉瀬の桃こと黒川桃太郎であることも書かれています。
奴踊り碑 (2)_600

嘉瀬の奴踊りの歌詞とテンポの速い歯切れの良いリズム、そして踊りも高い評価を受けているところですが、これまで嘉瀬村の人々が踊りを習い、祭やお盆にには村をあげて踊り今日に至ったことがすばらしいことで、嘉瀬小学校の卒業生はほぼ全員がこの奴踊りを踊れるといわれます。
そして、昭和42年から県文化財指定を陳情するに村をあげて働き掛けた当時の保存会の会長が、吉幾三さんの父鎌田稲一さんだったそうです。

私が小さい頃の嘉瀬の盆踊り大会は、近隣の町からも参加者が集まる大きな催しだったと記憶します。


そして、今朝の岩木山です。
岩木山8-22_600
 
 
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