2012.08.28 金毘羅さま3
今日の気温も31.6℃と観測、10日続きの真夏日となりました。
息子からの贈り物の種も立派な朝顔となっています。
朝顔8.28_500
2本のつるが、設置した誘引柱の先端まで届きました。ボリュームが花を覆い寄れているようにも見えますが、まあ、こんな感じで良いでしょうね。
ひと安心で、後は大きな種が数多く付くことを望みます。

そして、一昨日からの続きともなりますが、
“蒔田村も金木新田に属する部落になっていて、新田の開拓とともに出来た村のようにも思われていますが、相当早くに開けた村で1645年の記録で“村高十三石”と残され、その規模から少人数の家が3戸程度とすれば武士の隠れ家とも考えられるようです。
その後天和の時代(1681年から1683年までの期間)に行った検地の天和書上帳添図に“不動林の西に小さな部落が描かれて「右のうち」と記されているので不動林の一部と扱われていたようです。
ただ、その同じ1681年に津軽藩が金木川口に川湊を開いたとされています。
その後新田開拓が盛んになり、1727年川口村から蒔田村と改められ1736年に独立村として認められたとなっています。
金毘羅宮が船問屋の能登屋と同じく舟問屋の白川竹治氏の先祖が係わりあるとのこと、岩木川の水運が盛んだった頃は船路のの安全を祈願したものだったと結べば、川湊開湊当初が金毘羅さまの始まり時期だと考えるのもひとつかと思いますが。”
傍島 (3)_500 傍島 (4)_500

今朝、岩木山は望めませんでした。
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