2012.08.27 金毘羅さま2
観測地最高気温31.9℃、9日続きの真夏日となりました。

昨日の続きとなりますが、蒔田地区の近代史についても展示紹介されています。
傍島_500
ここでは、津軽藩の金木新田開発が旧川口村の誕生となるようですが、それ以前は数戸の小さい集落で隣接する不動林村の一部とされていたようです。

そして、ここの展示とは別ですが、
金木郷土史の編集長を務めた白川兼五郎氏のによると、蒔田のことはこう書かれていますね。
“蒔田の村中の通りには戸数に似合わないほど広い通りがある。しかし五郎八様から下はしりつぼみになっている。上方の舟方衆なども加わってお祭り広場ともなる港町街道であったと思う。
金木の大綱引きは越後の方から伝えられたといわれているが、もとは蒔田からだろう。盆踊りなどもそこが始めだろう。
白川竹治氏の先祖は蒔田の舟問屋であり、蒔田の金毘羅宮は四国の本山から分身勧請したと言い伝えががある。
私は十年程前に彼と一緒に四国へ行ってきた事がある。蒔田村社金毘羅宮は岩木川の水運が盛んだった頃は船路のの安全を祈願したものだったと思う。”


白川兼五郎氏は不動林の出身で、長男が家のおじいちゃんと同級生となるようで、まあ、実際に聞いた話のことかと思いますね。


で、今朝岩木山は望めませんでした。
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