古本屋で見つけた小野正文さんの著書です。
太宰治その風土_600
対談“太宰治之事”で小野さんが言った、
「太宰を知るには津軽の土地柄を知らなければならない。
  ・・・・・・・・・・これからもどんどん太宰治生まれてくるということはありえない。」
がどうも気になって、探したのがこの本ですね。
昭和61年の出版です。
太宰治その風土末_600
小野さんですから、その背景も詳しく調べ紹介しています。
例えば金木のことは、
“金木の地名が文献に表れる最初は天正7年(1576年)年で、津軽藩史に「天正7年7月為信公諸軍を督し大挙して茶臼館を討つ。大光寺六郎(南部藩)金木村に遁れる。遂に獲て之を斬る。」とある。(前野喜代治著「青森県教育史」)
また、文禄元(1592)年、東奥巡検使前田利家一行の調査した文書に「金木村186石2斗」とあり、おそらくこの時をさかのぼる数年前の開村で、すでにある程度の集落をなしていたと思われる。
その後、天和3(1683)年に金木川口御番所が設置、・・・・・・・・・”
とまで書いてくれています。

そして、“走れメロス”については、
金木小学校を卒業して直ぐに中学へ進まず高等小学校へ入学したこと、
その一年生で習った“真の知己”を太宰がどう感じたか、
散々人を待たせて、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」と唖然とされた発想の由来、
そして、“待たせる身”に焦点を絞って、美談を書くほうが自分にふさわしいと思い構想が定まったのではとします。

そして、“疎外感”についても書かれています。

“太宰治をどう読むか”はこれまで出版社を変えて3回出されているロングセラーで、今だ書店に並んでいますが、この“太宰治その風土”は古本屋でしか探せませんでした。


今朝、岩木山は望めませんでした。