2013.12.08 十二月八日
今日は12月8日、昭和16年日米開戦の日だそうです。
太平洋戦争が始まった、日本軍の真珠湾攻撃の日ですね。

太宰治の小説に“十二月八日”というのがあります。
1 200px-Dazai_Osamu_500_300

“きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経(た)って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此(こ)の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。
・・・・・
十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子(そのこ)(今年六月生れの女児)に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞えて来た。
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
 しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹(いぶ)きを受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。”


日米開戦の日、小説家を夫にもつ貧しい主婦がその日をどのように受け止めたのかを“日記”として記した形の作品で、園子さんの名も実名で何度も登場します。
発表が昭和17年2月で、戦後は封印されていた作品だそうです。

日記による“ちがう日本になった”とのとおり、日本が日本の将来を判断した日である大事な記念の日なのですが、この日は何事も無かったかのように過ぎます。広島の名の下に平和を唱える8月15日よりも今日12月8日が子供たちに伝えていかなければならない記念の日のように思いますが。
絶望的状況での無謀な判断であったとしても、個々で違えど私はその判断に“亡くなった曾祖父ちゃんの判断的教え”となります。


今朝、岩木山は望めませんでした。