2013.07.23 津軽の鬼っこ9
鳥居の鬼っこの9回目。

一昨日の“鬼巡りその①”で当然の如く立ち寄った、弘前撫牛子八幡宮です。
無牛子八幡宮_600
神社はイチョウの大木も途中で詰められて境内全体の大改修工事の最中でした。

通りから直ぐの一の鳥居に鬼がいます。
無牛子八幡宮 (1)_600
緑色の木製の鬼で、加藤慶司著“津軽における鳥居の鬼コ”による鬼コの分類でいうと強力型になります。
無牛子八幡宮 (3)_600
しっかりと腰を落とした状態で、はいているのは黒パンツですね。
無牛子八幡宮 (4)_600

そして、ここの神社有る鳥居の鬼コについての表示板。
無牛子八幡宮 (7)_600
鳥居の鬼コ
「撫牛子の鬼コに角コ無ェー」「西郷隆盛に首タコ無ェー」
と、わらべ唄に歌われて来たこの鬼コは、悪霊を防ぐ魔除のために氏子一同が鳥居にあげたものである。
 最初の鬼コは、甲冑師高山玄南作の木彫であったが、昭和二十六年の大火で焼け落ち、ここに見える鬼コは、大正八年に石工櫻庭音吉氏がこの鳥居と共に工費千五百円で製作したものである。
 霊験あらたかな鬼コの話を聞いて、柏木町、日沼、種市、沖等次々に鬼コをあげて、悪霊、悪疫の退散は勿論、さらに鬼の神通力にあやかって強い子供を育てたいと祈願するようになったのである。
 これは、全国的に極めて珍らしい津軽独特の神社信仰である。

と示されています。加藤慶司氏の名もあります。
無牛子八幡宮 (6)_600
明治時代の神社整理が影響して奇妙な風俗がみられるようになったひとつが“鳥居の鬼コ”で、
全国的にあまり例のみられない津軽独特の風俗だそうです。
鬼が掲げられ始めた年代も不明といわれていますが、約百年前とする理由のひとつにに、
“撫牛村の依頼により高山玄南が木彫の“鬼コ”を作ったのが明治初年との由緒が残されている”そうです。

といった事もあり、巡り①の最初は、弘前撫牛子八幡宮の鬼コとなります。


そして、今朝岩木山は望めませんでした。