2009.04.30 高長根
奥津軽ウォークのコース設定に提案しようと思っている場所があります。

“高長根”という場所です。
太宰も書いているように地元の年配者は“高流れ(タカナガレ)”と呼び、金木の大東ヶ丘地区の大倉岳の登山道へ向かう途中の小高い山です。私の年代の人は小学生の頃に炊事遠足へ行った場所であり、近くには野営場フイルドアスレチックが営まれていたこともある、町民にはとても憩いの場所でもあります。現在は砕石などで当時の野原は無くなっていますが、それでもそこからの眺めは太宰が途中数度見下ろしながら登ったという“津軽”で書いたとおりの展望が期待できます。
高長根_400

小説“津軽”から引用すると、
「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかつた。津軽富士と呼ばれてゐる一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏(いてふ)の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとほるくらゐに嬋娟たる美女ではある。

眼前に展開してゐる春の津軽平野の風景には、うつとりしてしまつた。岩木川が細い銀線みたいに、キラキラ光つて見える。その銀線の尽きるあたりに、古代の鏡のやうに鈍く光つてゐるのは、田光(たつぴ)沼であらうか。さらにその遠方に模糊と煙るが如く白くひろがつてゐるのは、十三湖らしい。

その十三湖の北に権現崎が見える。しかし、この辺から、国防上重要の地域にはひる。私たちは眼を転じて、前方の岩木川のさらに遠方の青くさつと引かれた爽やかな一線を眺めよう。日本海である。七里長浜、一眸の内である。北は権現崎より、南は大戸瀬崎まで、眼界を遮ぎる何物も無い。


と書いた場所を案内したいと思うのは当然でしょう。
他にも、小説の舞台にした“滝”が3つありますが、ひとつ選ぶとしたらここでしょう。
今後、太宰が訪ねた当時の姿に復元する計画もあるようです。