2008.06.25 仁太坊の碑2

昨日の続き

神原の仁太坊の碑のほかに、津軽三味線の碑が、芦野公園内に

2008津軽三味線発祥之地の碑6ds_400
“津軽三味線発祥之地の碑” 











2008三味線碑8ds_400

“津軽三味線之碑”







2008三味線碑9ds_400
“津軽三味線ふるさとの碑”


2008三味線碑13ds_400フロントゲートには金山焼の
“津軽の音”











そしてもうひとつ、イタコで有名な賽の河原の救世観音様隣りに“三味線塚之碑”があります。
2008三味線碑15ds_400

なぜこの場所なのか不思議に思いますが、町の名士が弾き手の霊を供養する意味もあって自費で建てたそうで、詳しくは記念碑の裏に記されています。
抜粋すると、<かって仁太坊の弟子たちは一様に、金木文化発祥の地であり聖なる霊場である賽の河原川倉地蔵大祭で芸を演じ・・・・・。由緒ある霊場に、津軽三味線に生命をかけた有名無名の坊様や弾き手の供養を願い絃魂津軽三味線塚を建立し永遠に冥福を御地蔵尊にお祈りするものである。>と記されています。まあ、この場所は市営の墓園“芦野霊園”が隣接しておりますし。

三味線之塚の画像奥手に見える墓が、1億5000万円かけたという羽柴誠三秀吉氏の巨大な墓です。